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ひりゆう型消防船 (初代) : ウィキペディア日本語版 | ひりゆう型消防船 (初代)[ひりゅうがたしょうぼうせん]
ひりゆう型消防船(-がたしょうぼうせん、)は、海上保安庁の消防艇の船級。 == 開発 == 1960年代初頭、日本の原油輸入量は急増していた。その一方、大型化した石油タンカーは動きが散漫で、しかも海峡・水道の交通管理がほとんどされていなかったこともあって、石油タンカーによる海難事故が相次いだ。特に1962年11月18日に京浜運河で発生した第一宗像丸とサラルド・ブロビク号(ノルウェー船籍)の衝突事故(付近航行中の船舶をも巻き込み、4隻が炎上、計41名が死亡)や、1965年5月23日に発生した、日本石油精製室蘭製油所(当時)におけるヘイムバード号(ノルウェー船籍)の衝突事故(28日間に渡って炎上)は、大型タンカーによる事故の危険性を再認識させる事態となった。これらの炎上事故では、海上保安庁による消火活動も行なわれたが、独力での鎮火は不可能で、在日アメリカ軍のヘリコプターや民間船舶の援助があった。さらに、陸上の消防機関の化学消防車をはしけに搭載して接近させるといった、応急的で無理のある消火活動も行われた。そもそも、当時日本に在籍していた化学消火能力を有する消防艇は、その全てが50総トン未満の小型艇で、大型タンカー火災に対処できる消防艇は皆無に近かった。 こうした中、海上保安庁では1965年9月に化学消防艇設計会議(議長:山縣昌夫東京大学名誉教授)を庁内に設置し、学識経験者による設計会議の結果、双胴船型が適当であると答申を受けた。一方で、警備救難部長が中心となった調査団が欧米各国を視察したが、どの国も大型タンカー火災に対処できる大型消防艇を保有しておらず、むしろ炎上事故が頻発している日本こそ、大型消防艇を率先して建造すべきであるという結論も得られた。1967年9月、化学消防艇の艤装設備委員会が設置され、消防庁消防研究所・東京消防庁・海難防止協会などの関連機関による審議を経て、仕様書がまとめられた。1968年8月、これを基に1番船が日本鋼管に発注され、1969年3月4日に1番船「ひりゆう」が竣工した。
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